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Daum Freres(ドーム兄弟 フランス)
ドーム兄弟  ケイトウ カメオ1灯シャンデリア アールヌーヴォー Daum Nancy lu-94
1,504,500円(税抜)
定価 1,770,000円(税抜)
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ドーム兄弟  ケイトウ カメオ1灯シャンデリア アールヌーヴォー Daum Nancy lu-94
1,504,500円(税抜)
1910年代アールヌーヴォー期、パート・ド・ヴェール(練硝子)の素地にアシッドヴェール(腐食技法、カメオガラス)が施されたドーム兄弟の1灯吊りシャンデリア。鎖などの金具はルイ・マジョレル作と思われます。

モチーフはケイトウという花です。その名のとおり、🐓雄鶏の冠(トサカ)の形をしていることから命名されました。英名もコックスコブ(Cock comb)といい、和名と同意語になります。

ケイトウの原産はインドで、日本では奈良時代、大陸を経由(おそらくは鑑真の渡日と一緒に)して伝わり万葉集の歌でも詠まれている日本でも古くから馴染みのある花です。

円形のガラス縁を這うようにケイトウのリーフがエッチングされてます。江戸中期の絵師、伊藤若冲が描いたケイトウを連想させる大胆な構図です。ドーム兄弟と若冲が活躍した年代には100年の差があるものの、温暖な気候に咲くケイトウはドーム兄弟がアトリエを構えていた寒地のナンシーでは当時見られなかったと思いますので、フランスでジャポニズム芸術が流行したときに、何かしら若冲の資料がドーム兄弟の手に渡っていたのかもしれないと想像を膨らませると、時を経て海を渡った壮大なロマンを感じるのです。また、ケイトウは燃えるように真っ赤に咲く種類が多いことからも、この色彩構成は日本芸術の影響を強く受けていると考察します。

ケイトウの花言葉は、真っ赤なトサカを持ち、胸を張って歩く雄鶏のように見えることから、「おしゃれ」「気取り屋」という花言葉が生まれました。また、ドライフラワーにしてもあまり色あせないことから、「色あせぬ恋」という花言葉がついたようです。


カテゴリー: 1灯シャンデリア
制作期: 1900~1910年頃
製法: パート・ド・ヴェール、アシッドヴェール、鍛鉄
サイズ: 幅31cm 最大高さ45cm(鎖で高さは調整可能)
重量: 約7kg

電配線は、日本仕様に交換済みです。電球口金は、B22Dをお買い求め下さい。


Daum Frères
兄オーギュスト(Auguste Daum,1853−1909年)
弟アントナン(Antonin Daum,1864−1930年)
仏・ナンシー

オーギュストとアントナンのドーム兄弟は、フランス、ロレーヌ地方のビッチの出身である。 普仏戦争終了後の1872年、ドーム家はプロイセンの占領を避けてナンシーへ移住した。 兄弟の父、ジャン・ドーム(1825−1885)は出資したガラス工場の経営者となったがオーギュストは1878年頃から、アントナンは1887年から、それぞれ父の仕事を手伝っている。
すでに、1884年の装飾美術中央連盟展で同じナンシーのガレが金賞を受賞して注目を浴びており、ドームの工場でも日常雑器の生産から、より高度な美術ガラス製品への移行を画策していた。 それから5年後、パリで1889年の万博が開かれ、ガレが出品した300点のガラスと、200点の陶器、17点の家具を出展し、いずれも植物をモチーフにした日本の装飾意匠えお連想させるリリカルな表現によって参加者の絶賛を浴び数々の賞を獲得した。 アールヌーヴォーの爆発的展開がこのときより始まるのである。
同じく1889年のパリ万国博覧会にドーム工房はテーブルウェアなどを出品した。 この時期からドームも爆発的躍進が始まる。 1891年、新たに装飾工芸ガラスを制作する部門を設置し、多くのガラス工芸家や美術家が導入された。 ウジューヌ・ダマン、ヴィクトール・マルシャン、ポール・ラカド、セーヴル・ウィンクラーといった画家たちや、ジャック・グルーベルのようなグラヴィール作家、彫刻家のアンリ・ベルジェ、陶工にして後にパート・ド・ヴェール作家に転身したアマルリック・ワルターも招聘された。
一般に、ドームの作品は風景文様を用いたものやヴィトリフィカシオンを上手く生かしたものに秀作が多い。 他にパート・ド・ヴェールの小容器や小動物、エッチング文様の上にエナメル彩色を施した山水風景の花器や容器も、ドーム兄弟の独壇場だった。
1894年、ナンシーおよびリヨンの博覧会で金賞を受賞。 1897年のブリュッセルの万国博覧会でも金賞を取り、この年、オーギュストにはレジオン・ドヌール勲章が授与されている。 さらに、1900年のパリ万国博覧会でも大賞を取り、この年アントナンにもレジオン・ドヌール勲章が授与された。 1901年にエコール・ド・ナンシー(ナンシー派)が結成されると、アントナンは副会長に推されている。 1914年には第一次世界大戦の影響で操業を停止したが、1919年に再開。 1920年代はアール・デコのスタイルで、その後は透明クリスタルのガラス置物などを生産し、現在に至っている。

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