ドーム兄弟 「冬蔦」 マッシュルーム形の大きなテーブルランプ アシッドヴェール アールヌーヴォー アールデコ Daum Nancy 1910年代 tl-25
0円(税込0円)
1910 Daum Freres Art Nouveau & Art Deco Acide Verre, Mushroom Table Lampe, Etched Cameo
ドーム兄弟、大きなテーブルランプ。マッシュルーム形の上下2灯式で1910年代アール・ヌーヴォー過度期の作品になります。
スパーク状に実を付けた模様はヘデラ・ロンベアでしょうか。日本名は冬蔦(フユヅタ)ともいわれます。冬の植物をスノーホワイトで統一しドームならではの優しく包み込む世界観でシンプルに表現しています。アシッドヴェール技法で浅く腐食されたカメオ(被せガラス)の表現方法は、どちらかと言えばアールデコ様式の要素を強く感じとれます。
当時の時代背景として、第1次世界大戦の影響によりガラス腐食の職人も物資も不足していたので、アールヌーヴォー絶頂期のような細密なカメオを作ることが困難な状況でした。限られた技術と素材の中から作風の簡素化が進みアールデコ様式への転換を急速に促しました。これは他のガラス工房でも同じです。
本作品においても、戦時中の創作への苦悩と新時代への兆しなのでしょうか、カメオの簡素化はまだパターン化されておらず、デザインと技術共に試行錯誤が垣間見えます。それでも、ドームらしさを残しつつデザインを巧みにまとめ上げるディレクション能力の高さ、作品から漂う安心感と説得力はアール・ヌーヴォー期で築きあげた大家たる由縁を感じられずにはいられません。
アールデコ期中興以降は、ドームの工房も工場化が進み、コストがかかるカメオでの表現そのものを捨ててしまいますので、やはりここが過度期と位置づけられる作風をしています。時代の狭間で複数の芸術様式が絡み合った素晴らしい作品ではないでしょうか。私感、こういうカオスな時代の物作りにはヒューマンドラマがあったのではないかと、よりいっそう愛着を感じてしまうのです。笑
ドーム兄弟のパート・ド・ヴェールは、ガラス粒子がそろった上質な材料を使用していますので熔解の泡切れが良く、滑らかな素地でありながら硬質なので違う色ガラスを重ね合わせる多重構造も可能にしています。 特筆すべきは、金属酸化物を混ぜるので色彩に幅があり、光りを透過させた際の発色が素晴らしいこと。模様に躍動感があり、重すぎず冷たすぎず絶妙の存在感を放ちます。
カテゴリー: ランプ(マッシュルーム形)
制作期: 1910年頃
製法: マッシュルーム形の上下2灯式、パート・ド・ヴェール、カメオ(被せガラス)、ブロンズ
サイズ: 高さ67cm 幅38cm
重量: 7kg
備考: 上下2灯の電球2個(LED 白熱電球色)をお付けします。
電配線は、日本仕様に交換済みです。電球口金は、E14をお買い求め下さい。日本では旭光電機工業が製造しています。
Daum Frères ドーム兄弟
兄オーギュスト(Auguste Daum,1853−1909年)弟アントナン(Antonin Daum,1864−1930年)
オーギュストとアントナンのドーム兄弟は、フランス、ロレーヌ地方のビッチの出身である。 普仏戦争終了後の1872年、ドーム家はプロイセンの占領を避けてナンシーへ移住した。 兄弟の父、ジャン・ドーム(1825−1885)は出資したガラス工場の経営者となったがオーギュストは1878年頃から、アントナンは1887年から、それぞれ父の仕事を手伝っている。
すでに、1884年の装飾美術中央連盟展で同じナンシーのガレが金賞を受賞して注目を浴びており、ドームの工場でも日常雑器の生産から、より高度な美術ガラス製品への移行を画策していた。 それから5年後、パリで1889年の万博が開かれ、ガレが出品した300点のガラスと、200点の陶器、17点の家具を出展し、いずれも植物をモチーフにした日本の装飾意匠えお連想させるリリカルな表現によって参加者の絶賛を浴び数々の賞を獲得した。 アールヌーヴォーの爆発的展開がこのときより始まるのである。
同じく1889年のパリ万国博覧会にドーム工房はテーブルウェアなどを出品した。 この時期からドームも爆発的躍進が始まる。 1891年、新たに装飾工芸ガラスを制作する部門を設置し、多くのガラス工芸家や美術家が導入された。 ウジューヌ・ダマン、ヴィクトール・マルシャン、ポール・ラカド、セーヴル・ウィンクラーといった画家たちや、ジャック・グルーベルのようなグラヴィール作家、彫刻家のアンリ・ベルジェ、陶工にして後にパート・ド・ヴェール作家に転身したアマルリック・ワルターも招聘された。
一般に、ドームの作品は風景文様を用いたものやヴィトリフィカシオンを上手く生かしたものに秀作が多い。 他にパート・ド・ヴェールの小容器や小動物、エッチング文様の上にエナメル彩色を施した山水風景の花器や容器も、ドーム兄弟の独壇場だった。
1894年、ナンシーおよびリヨンの博覧会で金賞を受賞。 1897年のブリュッセルの万国博覧会でも金賞を取り、この年、オーギュストにはレジオン・ドヌール勲章が授与されている。 さらに、1900年のパリ万国博覧会でも大賞を取り、この年アントナンにもレジオン・ドヌール勲章が授与された。 1901年にエコール・ド・ナンシー(ナンシー派)が結成されると、アントナンは副会長に推されている。 1914年には第一次世界大戦の影響で操業を停止したが、1919年に再開。 1920年代はアール・デコのスタイルで、その後は透明クリスタルのガラス置物などを生産し、現在に至っている。
ドーム兄弟、大きなテーブルランプ。マッシュルーム形の上下2灯式で1910年代アール・ヌーヴォー過度期の作品になります。
スパーク状に実を付けた模様はヘデラ・ロンベアでしょうか。日本名は冬蔦(フユヅタ)ともいわれます。冬の植物をスノーホワイトで統一しドームならではの優しく包み込む世界観でシンプルに表現しています。アシッドヴェール技法で浅く腐食されたカメオ(被せガラス)の表現方法は、どちらかと言えばアールデコ様式の要素を強く感じとれます。
当時の時代背景として、第1次世界大戦の影響によりガラス腐食の職人も物資も不足していたので、アールヌーヴォー絶頂期のような細密なカメオを作ることが困難な状況でした。限られた技術と素材の中から作風の簡素化が進みアールデコ様式への転換を急速に促しました。これは他のガラス工房でも同じです。
本作品においても、戦時中の創作への苦悩と新時代への兆しなのでしょうか、カメオの簡素化はまだパターン化されておらず、デザインと技術共に試行錯誤が垣間見えます。それでも、ドームらしさを残しつつデザインを巧みにまとめ上げるディレクション能力の高さ、作品から漂う安心感と説得力はアール・ヌーヴォー期で築きあげた大家たる由縁を感じられずにはいられません。
アールデコ期中興以降は、ドームの工房も工場化が進み、コストがかかるカメオでの表現そのものを捨ててしまいますので、やはりここが過度期と位置づけられる作風をしています。時代の狭間で複数の芸術様式が絡み合った素晴らしい作品ではないでしょうか。私感、こういうカオスな時代の物作りにはヒューマンドラマがあったのではないかと、よりいっそう愛着を感じてしまうのです。笑
ドーム兄弟のパート・ド・ヴェールは、ガラス粒子がそろった上質な材料を使用していますので熔解の泡切れが良く、滑らかな素地でありながら硬質なので違う色ガラスを重ね合わせる多重構造も可能にしています。 特筆すべきは、金属酸化物を混ぜるので色彩に幅があり、光りを透過させた際の発色が素晴らしいこと。模様に躍動感があり、重すぎず冷たすぎず絶妙の存在感を放ちます。
カテゴリー: ランプ(マッシュルーム形)
制作期: 1910年頃
製法: マッシュルーム形の上下2灯式、パート・ド・ヴェール、カメオ(被せガラス)、ブロンズ
サイズ: 高さ67cm 幅38cm
重量: 7kg
備考: 上下2灯の電球2個(LED 白熱電球色)をお付けします。
電配線は、日本仕様に交換済みです。電球口金は、E14をお買い求め下さい。日本では旭光電機工業が製造しています。
Daum Frères ドーム兄弟
兄オーギュスト(Auguste Daum,1853−1909年)弟アントナン(Antonin Daum,1864−1930年)
オーギュストとアントナンのドーム兄弟は、フランス、ロレーヌ地方のビッチの出身である。 普仏戦争終了後の1872年、ドーム家はプロイセンの占領を避けてナンシーへ移住した。 兄弟の父、ジャン・ドーム(1825−1885)は出資したガラス工場の経営者となったがオーギュストは1878年頃から、アントナンは1887年から、それぞれ父の仕事を手伝っている。
すでに、1884年の装飾美術中央連盟展で同じナンシーのガレが金賞を受賞して注目を浴びており、ドームの工場でも日常雑器の生産から、より高度な美術ガラス製品への移行を画策していた。 それから5年後、パリで1889年の万博が開かれ、ガレが出品した300点のガラスと、200点の陶器、17点の家具を出展し、いずれも植物をモチーフにした日本の装飾意匠えお連想させるリリカルな表現によって参加者の絶賛を浴び数々の賞を獲得した。 アールヌーヴォーの爆発的展開がこのときより始まるのである。
同じく1889年のパリ万国博覧会にドーム工房はテーブルウェアなどを出品した。 この時期からドームも爆発的躍進が始まる。 1891年、新たに装飾工芸ガラスを制作する部門を設置し、多くのガラス工芸家や美術家が導入された。 ウジューヌ・ダマン、ヴィクトール・マルシャン、ポール・ラカド、セーヴル・ウィンクラーといった画家たちや、ジャック・グルーベルのようなグラヴィール作家、彫刻家のアンリ・ベルジェ、陶工にして後にパート・ド・ヴェール作家に転身したアマルリック・ワルターも招聘された。
一般に、ドームの作品は風景文様を用いたものやヴィトリフィカシオンを上手く生かしたものに秀作が多い。 他にパート・ド・ヴェールの小容器や小動物、エッチング文様の上にエナメル彩色を施した山水風景の花器や容器も、ドーム兄弟の独壇場だった。
1894年、ナンシーおよびリヨンの博覧会で金賞を受賞。 1897年のブリュッセルの万国博覧会でも金賞を取り、この年、オーギュストにはレジオン・ドヌール勲章が授与されている。 さらに、1900年のパリ万国博覧会でも大賞を取り、この年アントナンにもレジオン・ドヌール勲章が授与された。 1901年にエコール・ド・ナンシー(ナンシー派)が結成されると、アントナンは副会長に推されている。 1914年には第一次世界大戦の影響で操業を停止したが、1919年に再開。 1920年代はアール・デコのスタイルで、その後は透明クリスタルのガラス置物などを生産し、現在に至っている。