レオナール・フジタ 藤田嗣治 『三美神』 ガリエラ美術館 『時代の証人・画家展』のポスター 1960年 エリオグラヴィール ドライポイント
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1960 Leonard Foujita "Les trois Graces - La Jeunesse" by "MUSÉE GALLIERA LES PEINTRES TÉMOINS DE LEUR TEMPS" Atelier Mourlot
1960年、ガリエラ美術館(パリ)で『時代の証人・画家展』が開催され、その広告用ポスターに、フジタが出展していた『三美神』が採用されました。版元はパリのムルロー工房で、フジタ本人が監修の元、アート紙に刷られフランス国内で配布されました。ポスターが好評を得て、同年、保存用のベランアルシュ紙(仏)で正規版も刷られています。フジタの作品の中でも希少な一枚です。
当時の画家たちの主流は油絵でしたが、描き上げても乾かすのに時間が掛かったり、たとえ絵が1枚売れたところで満足に食べていくことが出来なかった。なので銅版を削って複写する印刷・製本の技術を応用した作品作りで食い繋いだ。製本そのものを副職にしていた画家も多かったし、そんなフジタも渡仏間もない頃は製本の仕事で食い繋いでいた。後にこの複写技術から生まれる作品の芸術性が高まり、銅板画専門のアーティストも生まれました。フジタをはじめ、当時の印象派たちはその礎を作ったと言えます。
作者・タイトル:レオナール・フジタ(藤田嗣治) 『三美神』
版元:ムルロー工房
制作期:1960年
技法:エリオグラヴィール、ドライポイント
「レオナール・フジタ 絵と言葉展」目黒区美術館のカタログ1に掲載
「Foujita Volume 2 Leonard-Tsuguharu」掲載
コンディション: 全体的に日焼けが見られますが、褪色はさほど感じられません。
作品サイズ: 高さ75cm 幅50cm
額装サイズ: 高さ90cm 幅63cm
備考: 弊社で額装しました。同時代に近いくらいのアンティーク額縁です。ライナーは弊社手作りです。
Leonard Foujita(レオナール・フジタ)
藤田嗣治(ふじたつぐはる) 1886 ~ 1968年
二度目の渡仏で洗礼を受けて同時に帰化しフランスの土に還ったフジタの人生は奇想天外そのもの。東洋人の絵描きとして名を売ろうと、シマシマの囚人服を着て、晴れの日に和傘を広げ、髪をおかっぱ頭に刈り上げて、パリの街を歩く姿は一際目立つ存在だったそうです。着る服の殆どは自らミシンを踏み縫っており、画家として食えない時代は縫い子(衣服を縫う下請け業)をしていたほどの腕前でした。こうして自身をプロデュースして、借り物の器には入ろうとはせず唯一無二の存在として、ひたすら前を向いて生き続けた彼の人生観も大好きです。個人として尊敬します。憧れの人なのです😘
1960年、ガリエラ美術館(パリ)で『時代の証人・画家展』が開催され、その広告用ポスターに、フジタが出展していた『三美神』が採用されました。版元はパリのムルロー工房で、フジタ本人が監修の元、アート紙に刷られフランス国内で配布されました。ポスターが好評を得て、同年、保存用のベランアルシュ紙(仏)で正規版も刷られています。フジタの作品の中でも希少な一枚です。
当時の画家たちの主流は油絵でしたが、描き上げても乾かすのに時間が掛かったり、たとえ絵が1枚売れたところで満足に食べていくことが出来なかった。なので銅版を削って複写する印刷・製本の技術を応用した作品作りで食い繋いだ。製本そのものを副職にしていた画家も多かったし、そんなフジタも渡仏間もない頃は製本の仕事で食い繋いでいた。後にこの複写技術から生まれる作品の芸術性が高まり、銅板画専門のアーティストも生まれました。フジタをはじめ、当時の印象派たちはその礎を作ったと言えます。
作者・タイトル:レオナール・フジタ(藤田嗣治) 『三美神』
版元:ムルロー工房
制作期:1960年
技法:エリオグラヴィール、ドライポイント
「レオナール・フジタ 絵と言葉展」目黒区美術館のカタログ1に掲載
「Foujita Volume 2 Leonard-Tsuguharu」掲載
コンディション: 全体的に日焼けが見られますが、褪色はさほど感じられません。
作品サイズ: 高さ75cm 幅50cm
額装サイズ: 高さ90cm 幅63cm
備考: 弊社で額装しました。同時代に近いくらいのアンティーク額縁です。ライナーは弊社手作りです。
Leonard Foujita(レオナール・フジタ)
藤田嗣治(ふじたつぐはる) 1886 ~ 1968年
二度目の渡仏で洗礼を受けて同時に帰化しフランスの土に還ったフジタの人生は奇想天外そのもの。東洋人の絵描きとして名を売ろうと、シマシマの囚人服を着て、晴れの日に和傘を広げ、髪をおかっぱ頭に刈り上げて、パリの街を歩く姿は一際目立つ存在だったそうです。着る服の殆どは自らミシンを踏み縫っており、画家として食えない時代は縫い子(衣服を縫う下請け業)をしていたほどの腕前でした。こうして自身をプロデュースして、借り物の器には入ろうとはせず唯一無二の存在として、ひたすら前を向いて生き続けた彼の人生観も大好きです。個人として尊敬します。憧れの人なのです😘