
700,000円(税込770,000円)
1925 R. LALIQUE "Aux Moineaux, Clystal Verre ATO Horloge
aux moineaux(オモワノ=雀)というとおり、雀レリーフをあしらったルネ・ラリックのガラスと時計メーカーATO社とのダブルネーム作品です。 内蔵されていた機械式ムーブメントは利便性を優先してお使い頂きやすいようアルカリ電池クォーツ式(Junghans製(ATOと合併))に交換済みです。
aux moineaux は以前も取り扱いさせて頂いてますが、前回とは時計ダイヤルのデザインが違っています。 ラリックのガラスは同じで、仕込まれているATOの時計ダイヤルのデザインは数パターン存在するようです。 ご購入の際は、別途費用になりますが台座を作成して照明化のご相談も承ります。ラリックの照明化は美術館でも観られる演出方法で更に雰囲気が増しますからお薦めです。 照明化の参照は、下記URLでご覧いただけます。
https://aando-since1993.net/?pid=122885002
作者: ルネ・ラリック
制作期: 1925年 R. Lalique, aux moineaux
製法: プレス成型、ATO社時計(クォーツ式に交換済み:Junghans社製ムーブメント)
コンディション: 良好です。ガラスに損傷は見あたりません。
サイズ(最大寸): 高15.0cm 幅21.7cm 奥9.5cm
備考: 取り外したオリジナルのムーブメント付属します。載せ替えた新しいクォーツムーブメントが寿命(20年前後)の際は、メーカーの後継機で受け継がれてくことを想定して機種を厳選させていただきましたので、後にメンテナンス修理交換は弊社までご依頼ください。
Rene Laliqu ルネ・ラリック
1860-1945年 フランス・シャンパーニュ地方
彼の人生は大きく分けて2期に分かれます。 初期(アールヌーボー期)は宝飾デザイナーとして、後期(アールデコ期)はガラス工芸家として、そのどちらにおいても一世風靡し、世界に轟く名声を獲得しました。
若干22歳で、オーコック、カルティエ社などの宝飾デザインを手がけ、1900年(40歳)のパリ万博では、名実ともにアール・ヌーヴォーの宝飾作家として不動の地位を築き上げます。 1907年に香水瓶のラベルデザインがきっかけとなってガラス制作の分野に活動範囲を広げました。 1925年のパリ万博においては、 押しも押されぬガラスの大家となり、 自らの名の付いたパビリオン「ルネ・ラリック館」、巨大な噴水「フランスの水源」などを手がけました。 それ以後、1932年には、日本の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)の正面玄関扉などを制作し、1938年には、英国女王がパリを正式訪問する際の贈り物として、ラリックの作品が使われるなど活躍を続け、1945年に85歳の生涯を終えるまでに、5000種類以上の作品を制作しました。
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aux moineaux(オモワノ=雀)というとおり、雀レリーフをあしらったルネ・ラリックのガラスと時計メーカーATO社とのダブルネーム作品です。 内蔵されていた機械式ムーブメントは利便性を優先してお使い頂きやすいようアルカリ電池クォーツ式(Junghans製(ATOと合併))に交換済みです。
aux moineaux は以前も取り扱いさせて頂いてますが、前回とは時計ダイヤルのデザインが違っています。 ラリックのガラスは同じで、仕込まれているATOの時計ダイヤルのデザインは数パターン存在するようです。 ご購入の際は、別途費用になりますが台座を作成して照明化のご相談も承ります。ラリックの照明化は美術館でも観られる演出方法で更に雰囲気が増しますからお薦めです。 照明化の参照は、下記URLでご覧いただけます。
https://aando-since1993.net/?pid=122885002
作者: ルネ・ラリック
制作期: 1925年 R. Lalique, aux moineaux
製法: プレス成型、ATO社時計(クォーツ式に交換済み:Junghans社製ムーブメント)
コンディション: 良好です。ガラスに損傷は見あたりません。
サイズ(最大寸): 高15.0cm 幅21.7cm 奥9.5cm
備考: 取り外したオリジナルのムーブメント付属します。載せ替えた新しいクォーツムーブメントが寿命(20年前後)の際は、メーカーの後継機で受け継がれてくことを想定して機種を厳選させていただきましたので、後にメンテナンス修理交換は弊社までご依頼ください。
Rene Laliqu ルネ・ラリック
1860-1945年 フランス・シャンパーニュ地方
彼の人生は大きく分けて2期に分かれます。 初期(アールヌーボー期)は宝飾デザイナーとして、後期(アールデコ期)はガラス工芸家として、そのどちらにおいても一世風靡し、世界に轟く名声を獲得しました。
若干22歳で、オーコック、カルティエ社などの宝飾デザインを手がけ、1900年(40歳)のパリ万博では、名実ともにアール・ヌーヴォーの宝飾作家として不動の地位を築き上げます。 1907年に香水瓶のラベルデザインがきっかけとなってガラス制作の分野に活動範囲を広げました。 1925年のパリ万博においては、 押しも押されぬガラスの大家となり、 自らの名の付いたパビリオン「ルネ・ラリック館」、巨大な噴水「フランスの水源」などを手がけました。 それ以後、1932年には、日本の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)の正面玄関扉などを制作し、1938年には、英国女王がパリを正式訪問する際の贈り物として、ラリックの作品が使われるなど活躍を続け、1945年に85歳の生涯を終えるまでに、5000種類以上の作品を制作しました。