ルネ・ラリック AVALLON アヴァロン 花瓶 1927年
400,000円(税込440,000円)
1927's Rene Lalique Vase "AVALLON"
鳥が姫リンゴを啄む様を浮き出ししたこの花瓶は、ラリック中期の作品。アヴァロンとは、美しいリンゴの樹が立ち並ぶ名高い楽園「恵みの島」だったという言い伝えがあります。そして、イギリスの伝説的英雄アーサー王が命果てた終焉の島という言い伝えがあり、島のどこかにアーサー王が埋葬された墓があると言われています。イギリス考古学会では、アヴァロン島の所在地が諸説あり、未だに断定には至ってませんが、有力説のひとつであるリル・ダヴァル(フランス)をモチーフに、ラリックがこの作品を手がけたと思われます。
本品は、底部にサインがありません。 販売用ではなく、社内で出回る記念品を目的として、ある決まった数量のみ限定製造されるモデルにはサインを記入しません。 当時、ラリックの工房で働いていた社員が、記念品として頂き所有していたものだと思われます。(ラリック・レゾネを参考)
本品は、1945年以降の後期レプリカの底部を磨いてサイン(Lalique)を消して、「サイン無し」に見せかけて騙そうとする”半贋作”ではありません。 正真正銘、1927年製造のオリジナルであることを保証致します。
作者: ルネ・ラリック
制作期: 1927年
製法: プレス成型
コンディション: 良好です。底部に擦れ感ありますが、罅、欠けの損傷は見あたりません。
サイズ(最大寸): 直径16.2cm、高さ14.3cm
Rene Laliqu ルネ・ラリック 1860-1945年 フランス・シャンパーニュ地方
彼の人生は大きく分けて2期に分かれます。 初期(アールヌーボー期)は宝飾デザイナーとして、後期(アールデコ期)はガラス工芸家として、そのどちらにおいても一世風靡し、世界に轟く名声を獲得しました。
若干22歳で、オーコック、カルティエ社などの宝飾デザインを手がけ、1900年(40歳)のパリ万博では、名実ともにアール・ヌーヴォーの宝飾作家として不動の地位を築き上げます。 1907年に香水瓶のラベルデザインがきっかけとなってガラス制作の分野に活動範囲を広げました。 1925年のパリ万博においては、 押しも押されぬガラスの大家となり、 自らの名の付いたパビリオン「ルネ・ラリック館」、巨大な噴水「フランスの水源」などを手がけました。 それ以後、1932年には、日本の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)の正面玄関扉などを制作し、1938年には、英国女王がパリを正式訪問する際の贈り物として、ラリックの作品が使われるなど活躍を続け、1945年に85歳の生涯を終えるまでに、5000種類以上の作品を制作しました。
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鳥が姫リンゴを啄む様を浮き出ししたこの花瓶は、ラリック中期の作品。アヴァロンとは、美しいリンゴの樹が立ち並ぶ名高い楽園「恵みの島」だったという言い伝えがあります。そして、イギリスの伝説的英雄アーサー王が命果てた終焉の島という言い伝えがあり、島のどこかにアーサー王が埋葬された墓があると言われています。イギリス考古学会では、アヴァロン島の所在地が諸説あり、未だに断定には至ってませんが、有力説のひとつであるリル・ダヴァル(フランス)をモチーフに、ラリックがこの作品を手がけたと思われます。
本品は、底部にサインがありません。 販売用ではなく、社内で出回る記念品を目的として、ある決まった数量のみ限定製造されるモデルにはサインを記入しません。 当時、ラリックの工房で働いていた社員が、記念品として頂き所有していたものだと思われます。(ラリック・レゾネを参考)
本品は、1945年以降の後期レプリカの底部を磨いてサイン(Lalique)を消して、「サイン無し」に見せかけて騙そうとする”半贋作”ではありません。 正真正銘、1927年製造のオリジナルであることを保証致します。
作者: ルネ・ラリック
制作期: 1927年
製法: プレス成型
コンディション: 良好です。底部に擦れ感ありますが、罅、欠けの損傷は見あたりません。
サイズ(最大寸): 直径16.2cm、高さ14.3cm
Rene Laliqu ルネ・ラリック 1860-1945年 フランス・シャンパーニュ地方
彼の人生は大きく分けて2期に分かれます。 初期(アールヌーボー期)は宝飾デザイナーとして、後期(アールデコ期)はガラス工芸家として、そのどちらにおいても一世風靡し、世界に轟く名声を獲得しました。
若干22歳で、オーコック、カルティエ社などの宝飾デザインを手がけ、1900年(40歳)のパリ万博では、名実ともにアール・ヌーヴォーの宝飾作家として不動の地位を築き上げます。 1907年に香水瓶のラベルデザインがきっかけとなってガラス制作の分野に活動範囲を広げました。 1925年のパリ万博においては、 押しも押されぬガラスの大家となり、 自らの名の付いたパビリオン「ルネ・ラリック館」、巨大な噴水「フランスの水源」などを手がけました。 それ以後、1932年には、日本の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)の正面玄関扉などを制作し、1938年には、英国女王がパリを正式訪問する際の贈り物として、ラリックの作品が使われるなど活躍を続け、1945年に85歳の生涯を終えるまでに、5000種類以上の作品を制作しました。